幸せは人それぞれ

子育ても終え、後は人生を謳歌するのみ!最大限にセカンドステージを楽しもうと日々模索しています。

受験失敗 親だってつらい

 この時期、センター試験や受験という言葉をきくと、いまだに胸の中を暗い雲がたちこめる。

 我が子の受験期、何度受けても不合格。世間は口をそろえて「がんばって~」と激励をくれる。でも今さらがんばったってもう無理なんだよ。「火事場のバカ力で受かった~!」「おめでとう!」という言葉。無理なものは無理だしっ!全然おめでとうじゃない人もいるし!一気に桜が嫌いになった。

 二浪した娘。一浪した息子。

 もちろん本人たちはつらかったとは思うが、それをどうすることもできず傍観するしかない親もどれほどつらかったことか。家に帰って何時間もゲームをし、そのあげく疲れて寝る。次の日の予備校は遅刻。そんな生活で受かるわけがない。先生がこの子はダメなタイプと見放しているのがひしひしと感じられる。注意しても「勉強している!」「こっちはつらいんだ」と言い返してくるばかり。ゲームに逃げたって受験はやってくる。受からなければ先に進めない。立ち向かうしかないじゃない!何度もその言葉をのみこんだ。本を読んでもネットで検索しても、見守るだけという答え以外に「術」はみつからない。見守っているだけだと失敗するのは目に見えているのに、本人に気づかせたいだけなのに、画期的な「術」がみつからない。子どもを信じろっていうけど、時間は刻々と過ぎていく中、ひたすらゲームを続ける子をどうやって信じればよいのか。自分で受験したほうがよっぽど楽だと思った。

 二人とも盛大にお金を使い何校も受け、私は発表のたびに殴られているような気分を味わった。自分の子育てが失敗したんだと何度も自分を責めた。もっと真摯に世の中に向き合う子に育てるべきだった。自分の頭で考えていける人にしようと、できるだけ口をださずに自分で選択できるようにしてきたつもりだったが、それはただ私が子育てを怠ける口実に過ぎず、最初の方向性は親として示すべきだったのだ。楽な方に流れることを許してしまったのだ。あるいは家の中の雰囲気が悪かったせいかもしれない。全く会話がない夫との関係改善のために「努力」する姿勢をみせるべきだったのかもしれない。

 一流大学に合格させた親御さんの得意げな言葉にむかつく。うちの子たちはあの子たちよりも価値がないということか。私の親の、大学なんてどこでもいいんだよという慰めにもむかつく。私が受験のときはさんざん罵倒したくせに。きっと陰で姉と馬鹿にしているに違いない。人生は受験がすべてではない、大企業に就職することだけが正解ではないというのは、所詮きれいごとにすぎない。大企業に就職できるだけの武器(学歴)をもち、あえて行かない人がそう言うだけであって、門前払いを食わされる人は、結局は負け組。世の中、受験の成否から生きる道を選別されているのだ。私は子供たちを勝ち組に送り込むことができなかった。

 こんなどうしようもなく偏ったネガティブな感情に支配され、敗北感に打ちのめされ、なかなか立ち上がれずにいた私も、ここにきてようやく視野が広がってきた。

 現在、二人とも大学生活を楽しく送っている。最初からここでよかったんじゃない?と思えるほど人生を謳歌している。就職もどうなるかわからないが、あとは本人がなんとかするだろうし、なんとかなりそうに思える。三流大学であっても、それなりに道は開けている。

 結局あの頃探していた画期的な「術」はみつからないままだ。もし私と同じような境遇に陥った人に出会っても、月並みに「なんとかなるからがんばれ~」としか言えないと思う。わが子であっても、やはり人を変えることはできなかった。しかし、受験はほんの一通過点であって人生を決めるわけではないという意味は、遅まきながらわかってきた気がする。受験なんて些細なことで、この先どんな壁にぶち当たるかわからないのだ。その時、受験ですらどうしてやることもできなかった親が、守ってあげられるわけがない。だから子どもには自力でリカバリーできるだけの力をつけさせておくことが一番重要なのだと。そういう意味では受験に苦労したことも糧の一つになっていると思いたい。気の持ちようと言ってしまえばそれまでだけどね…。

過ぎた時間に後悔し、過ぎた時間に癒される。その繰り返しだが、親も成長し続ける。