幸せは人それぞれ

子育ても終え、後は人生を謳歌するのみ!最大限にセカンドステージを楽しもうと日々模索しています。

別居を宣言する

もう後戻りはできない。前進あるのみ。

しかし夫に告げる勇気がいる。ここが一番の難関だった。いつ言おう、どう言おうと、約2週間、起きてから寝るまでの間ずっと考えていた。決断するよりこの躊躇している時間のほうがはるかに長かった。ストレスとか胃が痛いというのは通り越し、文字通り頭の中が飽和状態だった。誰かに何とかしてほしいと真剣に思った。今思い返しても、ず~んとお腹の中が重くなる。大それたことをしているという罪の意識に苛まれる。しかし後戻りはできない。

 

…賽は投げられた…というか投げちゃったよ。

 

今日しかないというところまで持ち越し、私は別のところに住むと告げた。もちろん夫は大パニック。しかしちょっと待ってと言われても、いまさら後戻りはできない。

 

私は、今の状態(会話がない状態)はおかしい、ちょっと距離を置きたいので私は家を出る、とりあえず離婚はしない、家族離散になることも避ける、お金も足りないのであれば援助する、と調子のいいことを言った。半分は逃げ腰。

当然夫はパニックになる。

家族のために尽くしたのに捨てるのか、もう稼げなくなったからいらないって捨てるのか。お金くださいって頭下げろっていうのか?って・・・気が動転しているとはいえ、この情けない数々の言葉…

私の決断は正しかった。そういえばもともと夫とは会話がかみ合わず、会話がなくなったことを思いだした。自分で決めつけてかかるので、こちらがいったことを正確に理解することができない。同じことの繰り返し。そしてすべてが私のせいで、あの時こうだった、ああだったと文句を言ってくる。

この嫌な感覚…そういえば姑も同じような話し方だったよ。親子そっくり…とどうでもいいことに感心。

 

夫がこの状態でもお金の心配だけをしていることは想定内であったが、何よりびっくりしたのが、夫はこれまでの家族の会話のない生活に何の心配もしていなかったこと。

旅行も私だけで行くことに不満を覚えてはいたが、私が一緒に行きたくないということに気が付いていなかった。

子どもたちと全く会話がなく、私を通してしか近況をきくことができないことにも不安を覚えていなかったこと。どう考えても普通の家族(普通の定義もあいまいだが)ではないことに対して、何も違和感を覚えず、このまま二人で老後を過ごしていくと思っていたこと。

能天気というか、ここまで状況を判断したり自分で行動を起こしたりすることができない人だったとは!

 

引越までの1週間、これまた胃がしめつけられる生活だった。少しでもいつもと違うものを感じると引っ越すの?引っ越すの?としつこく聞いてくる。そしていい加減にしてくれよ!と怒り始める。夫からしてみれば晴天の霹靂、怒るのも無理はない。しかし私も、この状態をいつまでも引きずりたくない、ええい!引っ越しちゃえ!という感じで、また一気に動いた。

引越の日、夫は犬のようについて回る。今度は持っていかれるのが惜しいのか、引き出しから物を出すと、後からまた開けて確認している。

夫は、今まで自分のことは自分でやってきて、そのうえ料理までしなくちゃいけないんだからな、と怒鳴ってくる。料理も洗濯も家の管理もすべて私がやってたじゃない!あんたは皿洗いだけだったろうが!

所詮、私はお手伝いさんにすぎなかった。

家のことをすべてやって、お金稼いできて、しかも保護者のように管理してくれるなんて、都合の良いお手伝いさんもいたもんだ。一切会話のない、歪な家族にこのまますべてを任せっきりで老後の世話もやってくれる、自分はゲームだけやっていれば生きていけると本当に思っていたのだろうか。